【第258号】2012/01
十二支の中で竜(龍)だけが架空の動物だ。体は蛇のようで全身が鱗に覆われ2本の角と耳、4本の足と長い口ひげを持つ竜は、天に向かって立ち昇る姿から「たつ」という名になったといわれる。天空を目指して、するると駆け上がる勇壮な姿は、人の気持ちを鼓舞させるにあまりある。あまたの絵柄に残されてきた竜の姿は、人間の英知の及ばぬ大きな力を求めている潜在的な人間の思いなのかもしれない。
昨年は自然の前では、人間はなんと無力であるのかと痛いほど知らされた年であった。辰年。生きとし生ける物が全て共生出来ますように。(安)
【第257号】2011/12
「自分が病人であることを自覚せよ」血液検査のデータを手に医者が一言。病気?確かに膝が痛くて歩行に支障はあるものの心は元気印。なのに「治らない」との追い打ち宣告に気力は激減。予測不能な事態にさらされると、心はこれ程弱くなるのかと落胆していた矢先、「治るよ」という知人の言葉に勇気を得た。
東日本大震災、原発、台風12号と理不尽な災禍に見舞われた方々の心中を思うとやりきれないが、人は誰かと必ず繋がっている。人は弱いけれど、人と人のコミュニティがあれば強くいられる。悲嘆を突き抜けると希望が見えるのだから…。(安)
東日本大震災、原発、台風12号と理不尽な災禍に見舞われた方々の心中を思うとやりきれないが、人は誰かと必ず繋がっている。人は弱いけれど、人と人のコミュニティがあれば強くいられる。悲嘆を突き抜けると希望が見えるのだから…。(安)
【第256号】2011/11
結婚によって男女の愛情関係は社会的に認知され、不安定な恋は継続を必要とした愛に変わっていく。家族制度でひとくくりになり、世間という常識の論理に組み込まれていつしか安定の美名の影で微妙に移ろうお互いの愛。同じ人と人生を分け合って時を共有するのは、恋ではなくて、愛なのだと納得して、やっと人は長い結婚生活を持続できるのかもしれない。双方がそれぞれの何かを奪い、何かを得ながら侵食し合って生きていく。人生の共犯者として歩むのもまた一興。結婚は修行だが、癒やしという妙薬もある。若者よ。修行に踏み切ってはいかが?(安)
【第255号】2011/10
先日、亡母の一周忌で普段顔を合わせることの少ない親戚が集まった。たわいもない会話が続く中、遠い記憶の彼方に引き戻され、この歳まで理解できていなかった潜在的な自分の性格を知った。たかが行事ごとと侮るなかれ。人生にはイベントがつきまとう。それは子どもから大人への社会的重さを理解していく通過儀礼。母の胎内で経験したであろう安産祈願の神社詣でに始まり、親戚や友人たちとの交わり、仕事での交流、伝統行事や地域での祭り、趣味の会合、意義や連帯感、高揚感を求めて繰り返されるイベントなど…。個人や社会との絆を強める役目を果たしている。(安)
【第254号】2011/09
8月末、残暑がぶり返したようだ。何やら暑苦しかったと、思えば枚方市長選挙、民主党代表選挙とダブルでヒートアップしたせいだろう。とはいえ、市長選の投票率はさほど伸ぴず、代表選では2日間の攻防に利害が見え隠れする数の論理。庶民の生活を左右する為政者に対して私たちは何を期待するのか?ある作家は「公約が守られるかどうかを監視するだけ」と言った。約束を破ってはいけませんと子どもに説教する大人。偉い人が約束反故では話にならない。選挙で終わったのではなくこれからだ。期待と監視の両面で私たちは大きく目を見張り続けなければならない。(安)
【第253号】2011/08
真夏の太陽は容赦なく照りつける。熱い!と一言。でも、それは今、この瞬間に生きている。生かされていると感じる生命の確認でもある。思わず身を震わせるほどの舞台やライブに出逢う時、生きている実感がある。若き日、触発され取り憑かれるように練習に励んだ日々を思い起こす。泣きたくなるほどの感動がこみ上げ、自身で気がつかなかった内面からの魂の呼応に驚かされる。生きているということは、案外に単純な事なのだ。
感動と悲嘆は裏返し。母の初盆を迎える今夏、その存在の無を受け入れよと時が呼びかけている。
感動と悲嘆は裏返し。母の初盆を迎える今夏、その存在の無を受け入れよと時が呼びかけている。
【第252号】2011/07
死の淵を過去二度にわたって彷徨し、太い人工血管を全身に埋め込まれ、およそ考えつく限りの後遺症に次々と襲われ、そしていまでは「リハビリ難民」となってしまっている…。
「原発労働記」(講談社文庫)の著者・堀江邦夫さんは、1978年から約半年間、美浜、福島、敦賀と3ヶ所の原子力発電所で労働を体験。あとがきには、現在(11年4月)の自分の身体の状態が綴られている。30歳で受けた内部被曝は確実に身体を蝕み続けた。今、被災地で原発労働に駆りだされている人たちの心情はいかに。夏を迎え、より過酷な現実が待っている。
「原発労働記」(講談社文庫)の著者・堀江邦夫さんは、1978年から約半年間、美浜、福島、敦賀と3ヶ所の原子力発電所で労働を体験。あとがきには、現在(11年4月)の自分の身体の状態が綴られている。30歳で受けた内部被曝は確実に身体を蝕み続けた。今、被災地で原発労働に駆りだされている人たちの心情はいかに。夏を迎え、より過酷な現実が待っている。
【第251号】2011/06
東北の土を踏んだのは生涯で2度目になる。数十年前、石巻市の漁師を取材したのと、先月、気仙沼での支援活動に参加させていただいたのと…。
当時、「板子一枚地獄」に生きる海の男の気概も印象的だったが、陸奥はどこか哲学的な空気に満ちた感があった。郷土の人、宮沢賢治は明治三陸地震の2ヵ月後に産まれ、昭和三陸地震の半年後に没した。賢治は「海岸は実に悲惨」と葉書に書いた。繰り返す悲劇。平成の大地震は、津波とともに原発という人災をもたらせたが、忍耐強く復旧の日を待つ方々を前に、頭を垂れるのみだった。
当時、「板子一枚地獄」に生きる海の男の気概も印象的だったが、陸奥はどこか哲学的な空気に満ちた感があった。郷土の人、宮沢賢治は明治三陸地震の2ヵ月後に産まれ、昭和三陸地震の半年後に没した。賢治は「海岸は実に悲惨」と葉書に書いた。繰り返す悲劇。平成の大地震は、津波とともに原発という人災をもたらせたが、忍耐強く復旧の日を待つ方々を前に、頭を垂れるのみだった。
【第250号】2011/05
薄暗い民家の中で美しい弦の音が聞こえました。何もかも殺風景な土地で、美しい音を聞くと何かよけい甘くせつなくな
る気分です。(無言館を訪ねて・講談社)
震災、原発不安の今、戦没画学生が残した手紙に目が釘付けになった。絵筆を銃に持ち替えた不如意。原発に怯え、住処を奪われた憤り。戦争と原発。時代は違うが、加害者を曖昧にしたままの人災が命を踏みつけにする。困難だから耐えろというの?夢を見るなというの?でも、どんな時でも心は正直だ。音楽が美しい涙を誘う。
震災、原発不安の今、戦没画学生が残した手紙に目が釘付けになった。絵筆を銃に持ち替えた不如意。原発に怯え、住処を奪われた憤り。戦争と原発。時代は違うが、加害者を曖昧にしたままの人災が命を踏みつけにする。困難だから耐えろというの?夢を見るなというの?でも、どんな時でも心は正直だ。音楽が美しい涙を誘う。
【第249号】2011/04
起こってはならない事が起こってしまった。未曽有の大震災が起こり、福島原子力発電所が爆発。気味の悪い煙が立ち昇る。地上から放水する現場作業員は放射能汚染の恐怖と闘いながらの作業に胸中はいかばかりか。12年前、チェルノブイリの写真集「汚染された故郷」を出版された写真家・佐野朝彦氏は事故後何ヶ月も経った現地取材で自らが汚染され、故人となられた。目に見えない恐怖ほど恐ろしい事はない。「子や孫に負を残してはいけない」と脱原発を訴える人は言う。天災が人災をあばきだした。
【第248号】2011/03
国民の3大義務は教育、勤労、そして納税である。税金申告の時節に、お金について考えてみるのもいい。「稼ぐ人は偉い」的感覚で所得番付などを見てしまっていないか?経済の教科書には「合理的経済人」という言葉がある。常に効率を最優先して、自分の利益だけを考えて行動する人のことである。人間の行動には見返りを求めての「外発的動機」と、自分の心の欲求からくる「内発的動機」がある。仕事は人間として生き方を探るための手段でもある。お金を稼ぐだけのための義務ではないはずだ。
【第247号】2011/02
ジャズピアニスト・山下洋輔氏は5歳の時、耳にしただけで本格的なクラシックが弾けた。ピアノに触れて音が出るのが面白いと、遊びから興味を持った。が、楽譜どおりに弾かされる音楽教育はノー。もっと自由に弾きたい。即興で自分のレパートリーを増やしたいと、過去の作曲家の音楽を探求した。「すると勉強が苦にならず、喜びになった」という。世界的芸術家の誕生秘話だ。脳科学者・茂木健一郎氏は「脳と即興性・PHP新書」で、視覚に頼らずに音楽を習得する事は、脳の回路を育てると説く。単なる詰め込み教育では、独創性は生まれない。
【第246号】2011/01
新しい年の幕が聞いた。人生という劇場。今年の舞台上ではどんなドラマが展開されるのだろう。いうまでもなく主役は自分以外の何者でもない。だが、いい演技をしたいと思うのは、その演技を感受、浸透、反応してくれる他者の存在があってこそだ。他者とは、知己だけでなく、自然界の命あるもの全て。自分という存在を支えてくれている目に見えない裏方の価値を知る見識をもちたい。とかく現実的な事象で右往左往して時間を消耗している日常の反省をこめて、光だけを求めるのではなく影になれる強い心と技を磨きたいと願う。
【第245号】2010/12
今年一年間、無事に新聞を発行することが出来た。弊紙を支えていただいているのは、広告主、有料購読者はもちろん、読者、スタッフや各関係機関の方々など目に見えない有形無形の思恵であり、究極は人と人との信頼関係でしかない。厳しい社会状況下にありながら、日々仕事があるという喜び。お世話になった人々に多大な感謝と少しばかりの自負を胸に年を越せる。だが、隣国で起こっている悲劇は、一個人の幸福が国家の為政者たちによってたやすく壊されてしまう事を物語っている。拉致被害者に思いを馳せ、来年の平安を祈りたい。
【第244号】2010/11
ひろばに投稿された読者の文面に目が止まった。41歳の女性。いずれ、養父母と自分の両親4人の介護を担う覚悟が綴られている。ふと、自分の身と重ねた。果たしてそれほどの覚悟があっただろうかと。10年前、母親の独身生活が心配になり、近辺に仕事の場を構えたらひどく喜んでくれた。自然に介護関係の取材が多くなり、それと比例するかのように母の衰えの速度も増した。そしてこの秋、95歳で他界。49日を前にして思う。仕事を通して介護知識は蓄積した。が、子としての孝行はどうか。もっと母の生活に密着し側に寄り添っていたならば…。
【第243号】2010/10
ひろばに投稿された読者の文面に目が止まった。41歳の女性。いずれ、養父母と自分の両親4人の介護を担う覚悟が綴られている。ふと、自分の身と重ねた。果たしてそれほどの覚悟があっただろうかと。10年前、母親の独身生活が心配になり、近辺に仕事の場を構えたらひどく喜んでくれた。自然に介護関係の取材が多くなり、それと比例するかのように母の衰えの速度も増した。そしてこの秋、95歳で他界。49日を前にして思う。仕事を通して介護知識は蓄積した。が、子としての孝行はどうか。もっと母の生活に密着し側に寄り添っていたならば…。
【第242号】2010/09
坐して死す 末後の一句 死急にして道い難し 無言の言を言とす 道えず道えず 道鏡慧端(1642~1721)臨済中興の祖・白隠が師と仰いだ正受老人(道鏡慧端)の詩句である。生きゆくということは一日一日死んでいくということだ、死に死につくしてのちに、自由にふるまえといった人である。(水上勉書・一日暮らしから参照抜粋)長寿社会日本が揺らいでいる。架空となりつつある平均寿命の年齢に自らの死生観を重ねて、老いを見つめ直してゆく。おのずと敬老精神が生まれる。
【第241号】2010/08
8月を迎える幸福感。いまだに夏生まれの誕生日が嬉しいなんて変?だけど、ついこの前まで、真夏の太陽に向かって「ありがとう」と言っていたのは事実。が、昨今の異常な暑さは、さすがに動きを緩慢にする。水中を優美に泳ぐエイのしなやかな動きに憧れつつ、体重計の針の動きにため息。と、「土用シジミは腹薬」の言葉が救世主のように目に飛び込んできた。そう、夏は食養生が大切!中高年の課題は、未病を知ること。低脂肪、低カロリーのシジミは、なんてありがたい健康食でしょう。肝臓にも良いから安心して乾杯!呑んでもいい!でしょ?
【第240号】2010/07
暑い7月になりそうだ。政権交代後の初の国政選挙となる参院選。121議席を争う各党候補者の舌戦で夏がよりヒートアップする。11日には選挙結果が判明し、街は一瞬にして静かになるだろう。だが立候補時に熱心に訴えていたあの候補者のエネルギーは持続してくれるだろうか。あの公約は公約は発揮されるのあろうか。その理念に共鳴し期待をして投じた貴重な一票の行方を見続けなければいけない。政党同士の争いに惑わされずに、政治屋ではない政治家の仕事をしてくれる人を知りたい。生活を左右する国民の代弁者を選ぶ有権者の責任は重い。
【第239号】2010/06
振動数の同じ音叉の一方を鳴らすと他方も激しくなり始める。共鳴は、音の世界で顕著に現れる。ジャズやフラメンコライブの魅力は、生身の人間同士の音と命が昇華する一瞬のセッションにある。また、観客も演者と同時に共鳴体験するからだろう。同じ波動同士の人間は自然に引き合うものだという。他者の行動や思想に深く共鳴するのは共鳴現象以外の何者でもない。おっくうがらずに人に会おう。話そう。共鳴する場を持とう。他人から投げかけられた言葉に自分でも気がつかなかった自身の潜在意識が呼び覚まされるかもしれない。
【第238号】2010/05
最近、二人の女性の生き方に感動を覚えた。93歳と67歳。共に一人暮らしのつつましい生活を送っておられるお二人には共通した生活習慣がある。毎朝の早起きと、一日の始まりの定例行事だ。起き抜けに完布摩擦やラジオ体操で自分の身体とゆっくり向き合う。こうした身体のメンテナンスを怠らない。日本刺繍、和とじ製本。お二人とも伝統をこつこつと伝える職人技術を身につけておられるが、一朝一夕では出来ない創作は、生活習慣の賜物。自分を律して生きる毎日の積み重ねが、作品となって新たな思いを育む。年月の貴重な重みでもある。
【第237号】2010/04
地球環境や運動不足、維持費などを考えると、車は如何なものかと思いつつ、3年前に免許を取得した。言い訳は別として車を運転する魅力は自転車とは違ったものがある。仕事モードではなく気まぐれに私的空間を広げようとする時に限るが、個空間と外界との微妙なズレが新鮮な発見を呼ぶ。颯爽と道路をすべる感覚は運転してみて始めて味わう体感だ。北河内地域周辺だけでも自然景観に恵まれた場所は枚挙にいとまない。第二京阪道路の開通式で新道路は「緑立つ道」とアナウンスされたが、環境を考慮しながら車と上手に付き合いたい。
【第236号】2010/03
地元大学生の卒業制作展を審査した立場で、バンクーバー冬季五輪が興味深かった。高みの向かって飛翔する若者達の姿と学生の姿がオーバーラップしたのだ。目的に向かって努力する若者達。結果よりも出場までの日頃の努力こそが尊い。仏教で「五輪」とは宇宙の万物を構成する地、水、火、風、空のこと。宮本武蔵の書である「五輪書」も武芸兵法の心得をこの5要素から説いている。五体満足と表現される人間の身体の「五体」。人の身体には万物の構成要素がそのまま備わっている。人は宇宙そのものなのだ。無限の可能性を秘めている私達だ。誇りを持っていきたい。
【第235号】2010/02
新年互礼行事で終始した1月。名刺を整理しながら、新年会の講演での「知人から友人に」との言葉を思い出した。単なる名刺交換から、仕事の利害を超えた人間関係に変換させる必要性は、日本の在り方も示唆している。伝統や技術など自国の誇りを自覚してアジア全体と繋がる。まさに「個人の幸福なくして地球全体の幸福はありえない」との宮沢賢治の言と重なる。眼前の経済活動で右往左往して自分を見失わないようにしたい。金銭に代えられない大切なもの。仕事から学ぶことは多い。リタイア後への指針としても切磋琢磨しよう。
【第234号】2010/01
寅年新年。国の「虎の子」が心配だ。「こども手当」の財源が問題なのだという。地方自治体が負担を強いられるのか、増税になるのではと、識者の意見が、かまびすしい。ただ経済に無知なわが身にでも分かることはある。親は自分の身を始末してでもこどもにひもじい思いをさせたくはない。が、それも限られた家計の範囲内でののこと。予算が立てられなくて、他にツケが回るならば無茶はしない。下手な借金をすると、ゆくゆくは愛するこどもの負担になるからだ。
【第233号】2009/12
一人の人間が一生に出会える人や物事のキャパはたかが知れている。限られた人生。これからどれほどの出来事が自分を待ち構えているのだろう。日常に埋没しているうちに、習慣や惰性に流されてカチカチになってきた頭と心。命を無駄に消費しているのかもしれない。ふっと身中から湧き上がる飢餓感や期待感に身がすくむ。そんなとき思い出す。昔、上司から言われた言葉。「映画は人生を数倍も豊かにしてくれる」と・・・心に雨が降っていようと、好奇心の芽は摘みたくはない。いつしか映画は心の常備薬となっていた。
【第232号】2009/11
はじめまして。9月からアゴラで記者修行をしています、松井愛です。私事ですが、今月はラブリーフェスタとすさみフェアin寝屋川という二つのイベントに参加させていもらいました。お祭り大好きな私ですが、これまでは客の立場でしかなく、今回初めて裏側の大変さや運営する人の思いに触れられた気がします。出演する人たちもみんな「好き」でやっている人たちばかり。「好き」の気持ちが持つパワーに刺激を受け、元気をもらいました。人生初の司会で、ご迷惑をおかけしたかと存じますが、どうかご愛敬!
【第231号】2009/10
ある訃報に接し、言葉を失くした。30年近く発行を続けてきたタウン誌の女性編集者が黄泉の国に旅立った。64歳。現役での死。走り続けてバタッと倒れたという感だ。編集者としてはもちろん、大阪市の地域おこしの立役者として、その活躍ぶりはつとに有名。行政から供花も出されたというから言わずもがなである。同業の徒として、心からご冥福を祈る。新型インフルエンザの対応はこれからが山場。健康管理は自己責任とはいうものの元気に働ける体力を過信して自身はいい加減なのも事実。ふと亡き編集長に思いを寄せてしまう。

